top of page

日本統治時代の歴史に触れられる「基隆要塞司令部」

  • 執筆者の写真: TASAINA TAIWAN
    TASAINA TAIWAN
  • 2025年12月27日
  • 読了時間: 4分

 

 日本統治時代の台湾三大軍事要塞と言えば、基隆と高雄、湖です。今回は、1903年に建てられた「基隆要塞司令部」をおすすめします。


 紹介する前に、基隆について簡単にご説明いたします。基隆の旧名は、「鶏籠」と呼ばれ、台湾の北部にある港町です。なぜ、「鶏籠」と呼ばれているのでしょうか。それは、基隆にある「和平島」という離島に面している山の形が鶏を飼う容器「鳥籠」に似ているからです。また、基隆は冬に雨が多いので、「雨の都」とも呼ばれています。


 

 

 

 基隆要塞司令部の前身は、1896年に建てられた「基隆要塞指揮所」でした。1903年に基隆要塞指揮所が拡大建築され、台湾北部の最大の軍事中心「基隆要塞司令部」になりました。軍部の統轄範囲は広くて、台湾北部の基隆、底、金山、淡水、新竹、後龍などのエリア、つまり多くの北部のエリアを含んでいました。当時、基隆要塞司令部は指揮所として利用されるほか、砲兵と工兵二つの軍事的な部門が設けられていました。1924年に司令部は基隆港を守るため、清の時代(1884年)に港の付近にある丘で建てられた「白米砲台」や「獅球嶺砲台」など軍事施設を拡大建設しました。





 1946年からの国民党政府になると、基隆要塞司令部は、「光復営区」という要塞になり、軍事の目的に利用されました。1947年に国民党政府に対する民衆暴動事件「228事件」が起こったことにより、段々使われなくなっていきました。


 基隆市役所は、この日本統治時代の歴史に触れられる基隆要塞司令部を多くの人に知ってほしいと思い、2022年にその要塞を整備し、文化財として一般の方に無料で開放しています。





 正門に入ると、八個の旧弾丸に囲まれている石碑を見ます。その石碑は、1946年に国民党政府の党首「蒋介石」がここで視察した時、建てられた記念石碑です。石碑を通していくと、日本統治時代に建てられた基隆要塞司令部の庁舎に着きます。庁舎は、高さ二階が建てられ、一階に砲兵部、工兵部、食堂などがあり、二階に管理室や軍医室、応接間、司令官室などの施設が設けられていました。現在、庁舎は当時の日本式の軍事建築が見学できるほか、展示館として利用されています。



 

庁舎の横にある建物は、日本統治時代に建設された「補給倉庫」と国民党政府時代に増築された「光復楼」です。補給倉庫には、現在売店とサービスセンターが設けられています。ここで、売られているユニークなキーホルダーやマグカップ、Tシャツは、お土産に最適です。



また、ここにある重なった白いトンネルと真ん中のブランコはおしゃれなインスタ映えする場所として大人気です。光復楼は、レストランとして利用され、ここでヤムチャやカフェ、デザートなどの軽食が味わえます。また、光復楼の二階を登れば、海の絶景が楽しめます。


ここへのアクセスは、基隆バスターミナルで、101番や102番、103番、104番で基隆要塞司令部に行くことができます。降り場は「天主堂停留所」です。






 基隆要塞司令部を見学した後、基隆バスターミナルの付近にある有名な伝統的な観光市場「仁愛市場」へ移動してみてはいかがでしょうか。仁愛市場は日本統治時代から続く伝統的な市場で、現在一階と二階に分けられています。ここに来たら、二階に売られている基隆ローカルグルメが絶対に外せません。ここにはコスパがよく、美味しい店がたくさんあるので、ユーチューバーなどのメディアもここで取材しています。基隆バスターミナルから仁愛市場まで徒歩で10分だけなので、ぜひお立ち寄り下さい。



  

ちなみに、基隆要塞司令部からタクシーで約20分行くと、「白米砲台の遺跡」に行くことができます。砲台は基隆港の南側にある丘で建てられ、100年以上の歴史があります。ここから基隆港の景色が楽しめるだけではなく、離島の基隆も見渡すことができるので、地元の住民にも、観光客にも愛されています。時間が許すなら、足を運んでみてはいかがでしょうか。



(許可なく転載することを禁じます)






参考:

1.基隆要塞司令部

基隆市中正区祥豊街46号

2.仁愛市場

基隆市仁愛区愛三路21号

営業時間:8:00ー17:00

3.白米砲台

基隆市中山区光華路46路地裏




  • 台北迪化街


  • 台南司法博物館


  • 嘉義檜意森活村


  • 関子嶺泥温泉


  • 一貫道の道場「天台山」





コメント


bottom of page