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ゆったりと散策が楽しめる「篤行十村」

更新日:2024年8月13日






篤行十村は、台湾離島「ポンフー」の「馬公本島」という島の南西部にある海に面する丘に位置しています。丘の形は亀の頭と似ているので、篤行十村は「金龜頭」とも呼ばれています。




「篤行十村」は、元々は日本統治時代に建てられた澎湖島要塞や重砲兵の宿舎でした。民国政府の統治下に入ると、ここで「篤行十村」という「眷村」になりました。眷村は、国共内戦で民国政府の旧大統領蒋介石と台湾に撤退してきた外省人の軍人とその家族が暮らしている集落です。





その後、篤行十村は老朽化したので、民国政府が篤行十村に暮らしていた人のため、国民住宅を建設しました。外省人の軍人とその家族が国民住宅に移住した後、篤行十村は段々衰退していきました。


2007年にこの台湾で最も古い眷村の集落「篤行十村」は、ポンフー県政府によって歴史建築に認定されています。2012年にポンフー県政府が「篤行十村」を整備し、「篤行十村文化園区」として一般の方に開放しています。





敷地内の面積は1.8ヘクタール位で、大きさは約東京ドームの1〳4です。園区には、サビースセンターやカフェ、売店のほか、台湾で大ヒットした歌手潘安邦と張雨生の二人の記念館などの施設が設けられています。





独特な眷村の雰囲気に囲まれた篤行十村では、至る所で写真が撮影できるし、ゆったりと散策が楽しめます。また、日本の木造建築、レンガ造りの建築やポンフーのサンゴ礁で作られた建築物を融合した眷村の集落も一見の価値があります。


ここに来たら、いくつかの見所はぜひ、訪れてみてください。


まず、「サービスセンター」をおすすめします。「サビースセンター」は「勿忘在莒」と書いてある大きな石碑の隣に位置し、日本統治時代に建てられた一戸建の建物です。当時この建物は将官の官舎として利用されていたが、今は「サービスセンター」になっています。中には、園内の地理環境や園区の周辺の馬公市内を代表的な建築物などの立体模型エリアのほか、休憩室も設けられいます。ちなみに、「勿忘在莒」は「過去のことを忘れるな、国土を回復せよ」という意味があります。





 次は、篤行十村文化園區の入り口の近くにある「湘東商行」という駄菓子屋さんです。この店は入ると、子供の頃の思い出が瞬時に湧き上がります。カラフルな駄菓子が見られたら、子供どころか大人も喜ぶでしょう。ここにきたら、台湾風の駄菓子を食べてみてください。





 そのほか、台湾で「高音王子」と呼ばれる歌手「張雨生」の実家は、この園区にあります。張雨生の実家を改装した「張雨生記念館」は、多くの年配の人が魅了されています。


張氏は作曲家と歌手を兼ねた素晴らしい芸能人でしたが、残念ながら31歳の頃交通事故で亡くなりました。それでも、張氏の作品がたくさんあります。特に「僕の未来は夢じゃない」や「大海」などの歌は、今でもカラオケで歌われます。ちなみに「大海」という歌は、日本の有名な歌手「矢沢永吉」が「この海」という名に変えて歌っています。





 さらに、張雨生より年上の「潘安邦」という歌手も年少期に、この園区で過ごしたので、彼の実家が改装されている「潘安邦記念館」も訪れる価値があります。

潘安邦の歌と言えば、「おばあちゃんのポンフー湾」です。館内に入ると、この歌が聞こえます。また、潘氏のお父さんは陸軍の将官だったので、彼の実家は広くて、後ろにある庭園から海の絶景が眺められます。庭園に置かれた潘氏とおばあちゃんの石像は、篤行十村のランドマークになっています。ここに来たら、忘れないように記念写真を撮ってみてください。





時間が許すなら、清の時代(1696年)に建てられた「観音亭」というお寺へ移動してみてはいかがでしょうか。いつも参拝者が絶えない観音亭は、日本統治時代に「ポンフー山の観音寺」と呼ばれ、京都妙心寺の分寺のひとつともなっていました。境内に入ると静かで穏やかな空間が広がっています。また、お寺の前にある清の政府によって建てられた「象の石像」も見逃さないでください。ポンフーで最も古い観音寺「観音亭」は、篤行十村から徒歩10分ほどで行けます。





 

参考:

1.篤行十村文化園区

澎湖縣馬公市新復路5號.


2.観音亭

澎湖縣馬公市介壽路7-1號



(許可なく転載することを禁じます)



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